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竹鶴 17年の買取・査定

(taketsuru 17years)

竹鶴 17年(taketsuru 17years)

生産情報

生産国     
日本
地域
北海道 宮城
地区
余市郡 仙台市    
余市町 青葉区
作り手
余市蒸留所 宮城峡蒸留所

詳細

分類   
ジャパニーズウイスキー
タイプ
ピュアモルトウイスキー
原材料
大麦 酵母 グレーン

高価買取ランク

rank5

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竹鶴17年(taketsuru17years)の特徴

ニッカの蒸留所は北海道と宮城県の2箇所です。

寒さの厳しい北海道にある余市蒸留所で生まれる原酒は力強い味が特徴です。

一方、森の中に建つ宮城峡蒸留所で生まれる原酒は華やかで柔らかい味が特徴です。余市蒸留所では創業から変わらず、今でも石炭直火蒸溜式のポットスチルが稼動しています。

石炭直火蒸溜式は本場スコットランドでウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝氏が譲れなかった道具のひとつです。この方式では石炭をくべ続け、火力を保ち適度に焦がす必要があるので、熟練の技が必要になります。これで蒸留された原酒は力強く重厚で男性的といわれています。それから石狩湾から吹いてくる海風の香りを吸って熟成されるため、潮の香りも含まれます。

反対に、女性的といわれる原酒ができるのが宮城峡蒸留所です。ここでは蒸気により130℃ほどでじっくりと蒸留する蒸気間接蒸溜方式と、歴史の深いカフェ式連続式蒸溜機が採用されています。蒸気間接蒸溜方式ではまろやかで華やかな原酒が、カフェ式連続式蒸溜機では原料の雑味成分を甘味と香りに変えた原酒ができます。そうして、異なる環境と方式で造られた原酒をヴァッティングしたものが、ピュアモルトウイスキー・竹鶴17年です。

モルトウィスキーとブレンデッドウイスキーの良さを兼ね備えたウイスキーをテーマにして開発が始まりました。しかし、開発当時ピュアモルトは重厚かつ個性的で、ブレンデッドは軽やかな味わいという考えが常識でした。これらを兼ね備えた味を造ることは難題ではありましたが、ブレンダーは果敢に挑戦したのです。現在竹鶴は12年、17年、21年、25年の4種類が発売されていて、それぞれ個性が分かれるようにブレンドされています。竹鶴17年は柔らかな樽の香りにピートのスモーキーフレーバーが加わり、さらにモルトの香ばしさを味わえます。そして、最後に酵母が作り出す豊かなエステル香が沸き立つでしょう。また、甘さは控え目で口当たりはまろやか、重厚感がありながらも爽やかですっきりとした後味が特徴です。

歴史

ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏を除いて国産ウイスキーを語ることはできません。

政孝氏は日本酒造りを営む家に生まれました。厳格で真面目な父の背中を見て育った政孝氏は、大学醸造科で酒造りを学びます。そこで日本酒よりも洋酒に興味を持った政孝氏は、卒業を待たずに洋酒醸造会社・摂津酒造に入社します。

当時、摂津酒造の社長は国内初のウイスキー造りに乗り出そうとしていて、政孝氏をスコットランドのグラスコー大学に留学させました。政孝氏は意欲的に本場の蒸留所で見学や実習を重ね、本場のウイスキー造りを吸収します。

しかし、帰国時の日本は戦後大恐慌で不景気に落ち込んでいて、蒸留所建設どころではありませんでした。ウイスキーが造れないのなら私が会社にいる意味はないと退社を決意、しばらくは中学で化学を教えながら過ごしていました。

翌年に同じく国産ウイスキー造りに夢を抱いていた現サントリーの創業者・鳥井信治郎氏が、仕事のオファーをしに来たのです。政孝氏は10年の契約期間を結び入社、山崎蒸留所の建設、醸造、熟成を経て、初国産ウイスキーを発売しました。

しかし、スモーキーさが特徴のウイスキーは焦げ臭いという理由から大衆に受け入れられず、失敗に終わります。その後も本格ウイスキーの造り方にこだわっていましたが、経営陣との考えが折り合わなくなったのでしょう。契約期間が切れると身を退き、余市に醸造所を建てることにしたのです。

スコットランドのように冷涼で湿潤な気候の余市はウイスキー造りに理想的で、最適な水とピート、大麦が採れることも条件にぴったりでした。重厚かつ力強いモルトウイスキーを目指した政孝氏は本場のやり方を頑なに守ります。

それからの経営は決して順調なものではなく、会社の売却や吸収合併を経て、ときには妥協も必要でした。そうして経営を工夫し昭和31年に起きた洋酒ブームを受けるとウイスキー人気も上昇、ニッカウヰスキーはサントリーと並ぶ国産ウイスキーメーカーとして、確固たる地位を確立しました。

政孝氏の没後21年の2000年に、政孝氏の苗字を冠した竹鶴12年ピュアモルトを発売、そして翌年に発売されたのが竹鶴17年ピュアモルトです。竹鶴17年は2012年と2014年の世界ウイスキー品評会ワールド・ウイスキー・アワードで、世界最高賞を受賞しています。

逸話

大学生の頃入社した摂津酒造では時代が悪かったこともあり、国産ウイスキーを造るという夢は叶いませんでした。

戦後恐慌で不景気なのに高給取りだった政孝氏は、「摂津酒造で本格ウイスキーが造れないのに、高い給料をもらって在籍しているべきではない」と自主退社しました。

その後、時を経て余市に醸造所を建設し、本格ウイスキー造りを成功させることができました。後のイギリスの首相であるヒューム氏が、1962年に来日した際に「1人の青年が1本の万年筆とノートで、門外不出である我々のウイスキー造りの秘密を盗んでいった」とユーモアを交えスピーチしたそうです。

政孝氏は何箇所かある蒸留所にて実習を積んでいて、最後の実習先はキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所でした。ここで習得した技術を書き綴ったノート2冊は「竹鶴ノート」と呼ばれています。

ノートの中身は丁寧な字と図解で埋められていて、政孝氏の真面目な性格が窺えます。今の時代であればポットスチルを簡単に輸入できたかもしれませんが、当時は竹鶴ノートに緻密に描かれた図を元にしてポットスチルを作らせたのです。

今ヘーゼルバーン蒸留所はなくなっているため、竹鶴ノートはスコットランドのウイスキー製造の歴史をなぞることのできる貴重な資料となっています。

また、蒸留所の内外部やキャンベルタウンの風景を撮った写真も何枚か残されているのですが、余市の風景とそっくりだそうです。数々の蒸留所を見てきた政孝氏は経営の厳しさも同時に見てきました。

そのために、余市蒸留所建設当時2基必要なはずのポットスチル設置は1基のみでした。大変な作業でしたが、1回目の蒸留後にポットスチルを丹念に洗って2度目の蒸留を行ったのです。この頃、従業員と同時に自分を激励するために「ウイスキー造りに大事なのは設備ではなく人の心だ」という言葉を残しています。

こんなに熱心で一直線な政孝氏ですが、「家族団欒こそが人の道、就業時間が終わったら遠慮せずに家に帰りなさい」ともいっていて、ことあるごとに家族を交えたイベントを会社で主宰していました。

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