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余市 15年の買取・査定

(yoichi 15years)

余市 15年(yoichi 15years)

生産情報

生産国       
日本
地域
北海道
地区
余市郡
村 
余市町
作り手
余市蒸留所

詳細

分類    
ジャパニーズウイスキー
タイプ
シングルモルト
原材料
大麦 酵母

高価買取ランク

rank5

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余市 15年の特徴

ウイスキー造りの第一歩は二条大麦を発芽、乾燥させて麦芽を作ることからです。その麦芽を粉砕したら温めた仕込み水と混ぜ、お粥状態になったものをろ過して麦汁にします。そして、麦汁を発酵させてアルコール分約7%のもろみと呼ばれる発酵液に変えます。それから、もろみを単式蒸留器のポットスチルに入れて2度蒸留にかけるのです。ポットスチルはポット、ヘッド、ラインアームの3つの部分に分かれています。ポットはもろみを投入して過熱する部分で、容量が多ければ軽い味わいの原酒が、容量が少なければ重い味わいの原酒ができます。それから蒸気が一旦溜まるヘッドはランタンやボール型の場合は軽い味わいに、ストレート型の場合は重い味わいになるのが特徴です。

さらに、ラインアームが長く上向きの形状の場合は軽い原酒が、短くて下向きの形状の場合は重い原酒になります。余市蒸留所ではストレートヘッド型のポットスチルを使っているので、重い味わいの原酒が造られます。ストレート型は蒸気が溜まりにくく、ポットの中で還流が起きにくいからです。ここではさらに石炭直火蒸溜法で直火加熱を行っているので、いっそう重い酒質になります。そのために余市モルトは香りが高く力強い味わいの男らしいウイスキーと称されるのでしょう。この手法は創業者・竹鶴政孝氏がウイスキーの本場スコットランドに留学した際の研修先、スペイサイドのロングモーン蒸溜所の手法を倣いました。

このときに味わった力強いモルトをぜひ日本でも造りたいと長年考えていたのでしょう。研修先で学んだことを緻密に書き込んだ「竹鶴ノート」が残されているのですが、ポットスチルはそこに描かれた絵を基にして製造されました。そして、一定の温度を保つのに技術を要する石炭直火蒸溜においても、当初は誰もが初心者だったので、政孝氏の経験を頼りに皆少しずつ技術を習得していきました。このようにして蒸留された力強い原酒をオーク樽で15年以上熟成させたものが、余市15年になります。どこか潮の香りを含んでいるといわれるのは、石狩湾から吹き付ける潮風を吸い込んで呼吸しているからでしょう。

歴史

余市蒸留所は小樽の西側に位置した海の町です。大正時代まではニシンが豊富に獲れ、明治時代には民間農家が日本で初めてリンゴ栽培に成功したという歴史があります。当時蒸留所建設地の辺りは、見渡す限り荒れ野原で民家はまばらでした。しかし、余市は竹鶴政孝氏が描く理想のウイスキー造りの地でした。

最適な水とピート、大麦が採れ、さらにスコットランドのような冷涼で湿潤な気候も理想的だったのです。余市は海の町でありながら標高約1,500mの余市岳を筆頭に山々が並んでいる町です。厳寒な冬の間に降り積もったたくさんの雪が春の日差しを受けてゆっくりと土に浸み込み、さらに余市川にも解け込んでいきます。

大自然が生んだ雪解け水が、余市15年を形作る仕込み水となるのです。また、樽で眠る原酒の熟成を、ゆっくりと進ませる冬の寒さと適度な湿度もウイスキー造りに適しています。しかし、熟成期間が必要なウイスキーですぐに売り上げが作れるわけではありません。創業時はリンゴジュースを売る大日本果汁株式会社という会社でした。ここでもこだわりを持った政孝氏は、最高級品リンゴによる果汁100%ジュースを売り出します。しかしながら、この頃加糖ジュースが主流だったため人気が出ず、売り上げはさっぱりでした。しかも北海道から本州へ輸送するのにも時間と費用がかかります。そこでジュースは断念し、アップルワインとアップルブランデー生産に切り替えることにしました。

アップルワインは創業から4年後に販売され、現在ではアサヒビールの弘前工場が引き継いで製造しています。また、余市蒸留所でもアップルワインを試飲用に提供していて、見学者の喉を潤しています。そして、本命のウイスキーを発売できたのは創業7年後で、商品はニッカウヰスキーとニッカブランデーの2種類でした。ニッカウヰスキー株式会社への社名変更は、このウイスキー発売後から12年後です。シングルモルト余市が発売されたのは創業から59年、政孝氏が死去して10年後のことでした。10年、12年、15年、20年とラインナップがあり、愛されてきたシングルモルト余市は、2015年8月に終売し、9月に新製品のシングルモルト余市として生まれ変わっています。

逸話

竹鶴政孝氏はスコットランド留学時に出会ったリタ(本名ジェシー・ロバータ・カウン)と1920年に結婚しています。国際結婚を良く思わない人が多い時代で、両家は結婚に反対していました。政孝氏はスコットランドに永住しても構わないという考えをリタに伝えたところ、日本ウイスキーを造るという夢と一緒にあなたと生きていきたいのだと答えたそうです。

2人は盛大な結婚式を挙げることなく、スコットランドの登記所へ行き婚姻届を提出するのみに留めました。日本へ帰国してからの生活も順調なものではなく、紆余曲折を経て余市へ移住したのは結婚後14年後ことでした。スコットランドに似た余市を選んだのはウイスキー造りに適しているからですが、故郷を捨てて付いてきてくれたリタの故郷に似ていたからという理由もあったのかもしれません。余市郊外の山田町に構えてあった住居は現在、余市蒸留所の敷地に移築され、当時の雰囲気を感じることができます。内装は和洋折衷のデザインで、障子や畳が随所に使われています。

また、玄関はリタの実家と同様に石を使用したモルタル仕上げで、所々に竹鶴の名前にちなんだ竹と鶴の置物や意匠が施されています。リタは梅干しやイカの塩辛のような日本古来の料理も一生懸命覚えたようで、リタが漬けた梅干しも現存されています。料理上手なことに家族団らんを大事にする政孝氏の想いが加わって、従業員に料理をふるまうこともありました。政孝氏は毎晩ウイスキーの水割りで晩酌をしていたので、自室にある押入れをトイレに改装したという話があります。ロマンチストな政孝氏は毎年リタの誕生日に英語でメッセージを書いた洋書をプレゼントしていて、そのメッセージはラブレターのような文面でした。亭主関白な男性が多かった時代を考えると、時代を先取りしたフェミニストだったのかもしれません。女性の扱いにしても、ウイスキー造りにしても、政孝氏は時代の先駆者だったといえるでしょう。

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