十四代 超特撰 純米大吟醸 播州山田錦の買取・査定

(Jyuyondai cho tokusen Daiginjo Banshu Yamadanishiki)

十四代 超特撰 純米大吟醸 播州山田錦(Jyuyondai cho tokusen Daiginjo Banshu Yamadanishiki)

基本買取情報

最高買取金額 ¥16,500
※過去最高金額での買取り結果です。
平均買取金額 ¥13,000
買取本数 7本

生産情報

生産国
日本
地方
山形県村山市

詳細

分類
日本酒
タイプ
純米大吟醸
主原料
山田錦、酵母

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十四代 超特撰 純米大吟醸 播州山田錦(Jyuyondai cho tokusen Daiginjo Banshu Yamadanishiki )の特徴

1994年頃、年配の男性を中心に淡麗辛口の日本酒や新潟酒がブームになりました。

その直後に世に出てきたのが山形の酒「十四代」です。日本酒は飲みにくいといわれ、誰もが気軽に飲むお酒ではありませんでした。

しかし、今までにない甘味とフルーティーさを持った十四代は飲みやすいと好評で、瞬く間に大人気となりました。全国の酒屋で引く手数多の様子は、まるで日本酒界のスーパースターのようです。

日本酒は精米を麹にし、さらに清酒酵母からもろみにして熟成させます。そして圧搾、オリ引き、ろ過と続き、火を入れてから半年ほど休ませたものが日本酒になるのです。

十四代 超特撰 純米大吟醸 播州山田錦は、兵庫県の特A地区で栽培された山田錦特米を35%まで精米したものを原料にしています。

食用の精米歩合は90%ほどで、玄米を100%だとすると10%削っていることになります。一方、日本酒用に精米する場合は本醸造で70%以下、吟醸で60%以下、大吟醸で50%以下に削ります。お米の外側には、お酒の雑味に繋がったり香味を落とす原因になったりするタンパク質や脂質が多いので、精米歩合を下げるのです。一般的に精米歩合が低ければ端麗でフルーティーに、高ければ芳醇で甘いご飯のいい香りになります。また、山田錦は普通のお米よりも粒が大きく低タンパク質、さらに麹菌が入りやすい柔らかいお米なので酒米に最適です。

それに加えてぬかの層が薄く砕けにくいことや、吸収性と消化性に富んでいることも利点でしょう。

山田錦のほとんどは兵庫県で栽培され、三木市と加東市の一部が特A地区に指定されています。日本酒はワインなどのように、品種による味の違いはさほど大きく感じないとされてきましたが、近年ではさまざまなお米と精米歩合によって味に変化が付けられています。

山田錦はキレがあって辛口かつ香りが高いお酒に、龍の落とし子はフレッシュで瑞々しいお酒に、また愛山は幅と奥行きのある深い味わいを持つお酒になるなど、品種によって異なるタイプができることが分かります。

歴史

山形県のほぼ中心に位置する村山市富並に高木酒造はあります。4月頃でも雪深い土地は美味しい水を生み、もろみの発酵をうまく手伝ってくれます。

高木酒造の創業は1615年の江戸時代で、今から400年昔になります。祖先は京都の公家出身でしたが応仁の乱で負けてしまい、北に逃げてきました。そして、何とか死を免れて山形にたどり着くと、改名し息を潜めて暮らしたのです。

その後、戦前までは酒蔵の周囲一帯を所有地し、山々や田畑の管理だけではなく、林業も手がけていたそうです。現在の当主は十四代目の高木辰五郎氏で、十五代目の顕統氏が専務取締役兼杜氏を務めています。

20年ほど前の富並周辺は道も橋もないほどインフラ整備が行き届いていませんでした。富並の奥の次年子で病人が出たときは富並まで運ぶにも時間がかかり、助からないことも多かったそうです。そこで辰五郎氏は政治の道に入り、近隣の劣悪な道路環境を整えていきました。

それから政治に力を入れたことと高齢になった杜氏が引退したことが重なった頃、新宿のクイーンズ伊勢丹の流通業界で働いていた顕統氏に戻ってきてもらいました。

この頃古酒に使っていた十四代の銘柄で何種類か製品化しようという話になっていました。そこで十三代から順に十六代までを特許申請したところ、数字では特許は取れないと言われたそうです。しかし、不思議なことに「十四代」だけ特許が通りました。辰五郎氏は「『とよしろ』だとか『としよ』とか人の名前に勘違いされたのかも」と話しています。

一方、顕統氏は十四代という名前に関して、何かビビッと感じるものがあったようです。日本酒特有の古い文字は良い雰囲気だけれども、読みにくいことが多いので、分かりやすいという点も合格でした。

これをブランド名にして書家の岩崎潮風氏にラベルの文字を書いてもらうと、文字に箔押しを施して店舗の冷暗所や冷蔵庫に置かれる日本酒が目立つように工夫しました。十四代最初の明るい緑色のラベルは、光って目立ちながらも下品にならない色味に仕上がっていて、顕統氏にとっても思い入れがあるものとなっています。

エピソード

顕統氏が酒蔵で育ったのは小学生までで、中学に入ると同時に山形市内で1人暮らしをしていたそうです。

そして、農業系高校から東京農大醸造学科へ進学しています。大学で醸造学は学んでいましたが、25歳のときに実際に酒造りを始めたときは右も左も分からない状態だったといいます。

最初の酒造りではストレスによる急性胃炎になり、救急車で病院へ運ばれたほど激痩せしてしまいました。

まさに命がけで造ったお酒は甘くフルーティーな斬新なもので、幸いにもお客さんの大きな支持を得ることができました。それ以前に厳しい目を持つ有力酒販店の後ろ盾がなければ成功はなかったかもしれません。

しかし、顕統氏の酒造りに対する手抜きのない徹底した姿勢があるからこそ、高い評価が得られる商品になったのでしょう。

酵母と対話ができ、酵母を操れるようになれば酒造りの一人前といわれる日本酒造り。辰五郎氏は12回目あたりから顕統氏は酒造りの名人になったといいます。それは発酵の段階でアミノ酸の量を調整できるようになったからという理由があります。

女性が多い蔵の従業員は十数人で、力を合わせて仕込みを行います。使用する酵母も色々な種類を使い分けているのですが、腰を曲げてタンクに頭を突っ込みながら麹に酵母を混ぜ込んでいくので体力が必要です。しかし、人の手が加わるからこそ美味しく発酵するのでしょう。

そして温度変化を一瞬でできる冷却機を使うあたりは現代風です。

蔵は歴史を感じさせる外観で、レンガの煙突と瓦屋根が美しいのですが、内装はモダンに改装して今でも辰五郎氏が住んでいるそうです。しかし、水道はなく、酒造りと同様に25m地下から湧く水を生活用水として使っています。

日本酒の輸出量は2010年頃から上昇していて、日本酒の人気が国内だけでないことが分かります。だが顕統氏は海外に向けて販売するよりも、日本酒目当てに来日させたいと思って造っています。

ちなみに、元サッカー選手の中田英寿氏も十四代に惚れたそうです。現在、日本のお酒をアピールする会社を立ち上げ、日本酒を国内外に向けて発信しています。

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