サントリーの買取・査定

(suntory)

サントリー(suntory)

基本買取情報

最高買取金額 ¥700,000
※過去最高金額での買取り結果です。
平均買取金額 ¥2,500
買取本数 383本

生産情報

生産国    
日本
地域
大阪

詳細

分類     
洋酒、ビール、清涼飲料水

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サントリー(suntory)の特徴

サントリーがここまでの総合酒類食品会社になったのは、企業理念のチャレンジ精神『やってみなはれ』があったからこその賜物です。この精神は創業者の鳥井氏からずっと受け継がれてきたもので、これまでのビールや清涼飲料、健康食品などのさまざまな事業分野を開拓してきた大きな成功の基となっています。ここから、「結果を怖れてやらないこと」を悪とし、「なさざること」を罪と問う社風が生まれました。この理念と社風によって、創業から今まで、さまざまな商品開発や新規事業を成功させてきたのです。

また、サントリーはメイン事業の総合酒類食品事業だけでなく、愛鳥活動やクラシック音楽にも力を入れており、その企業活動は多岐にわたります。例えば、白州蒸溜所内に日本初のバードサンクチュアリを開園し、蒸溜所では見学ツアーも行っています。また、「世界一美しい響き」をコンセプトに、1986年、クラシック音楽の演奏のためのコンサートホールであるサントリーホールを開館しました。ここでは、これまでに多くのオーケストラによって演奏会が行われ、日本のクラシック音楽業界を牽引するホールの1つとなっています。

歴史

サントリーといえば、日本を代表する総合酒類食品企業になります。会社の始まりは、1899年に創業者の鳥井信治郎氏が大阪に鳥井商店を開業したことから始まります。そして、1907年には赤玉ポートワインを発売。『日本人に飲んでもらうためのポートワインを』という思いで造り上げた結果、一大ブームとなりました。

また、1924年に日本初のウイスキー蒸溜所である山崎蒸溜所を竣工し、5年後の1929年にサントリーウイスキー「白札」を発売しました。その後、1937年にはサントリーウイスキー角瓶を発売し、現在まで70年を超えて愛され続けています。

1963年には、当時の2代目社長・佐治敬三氏の『現状に満足せず、絶えず成長する企業でありたい』という思いからビール事業に参入し、このタイミングで社名をサントリーへと変更しています。

1984年、山崎蒸溜所の蒸溜開始から60年を記念して、山崎12年を発売。山崎12年は、試行錯誤の末、現在は1989年の蒸溜所の大改修を経て得られた異なるタイプのモルト原酒を合わせて造られています。それに伴い、世界のさまざまなコンペティションで受賞するまでになり、国内外問わず人気を博しているのです。現在のジャパニーズウイスキー人気の火付け役になったウイスキーだといっても過言ではありません。

 

また、1983年には2代目社長である佐治敬三氏のもと、日本国内のワイン需要拡大を狙って、当時低迷していたフランスボルドー地区の名門であるシャトー ラグランジュと提携しています。その後、見事にワイナリー経営を成功させ、復興を果たしています。

逸話

サントリーという社名の由来には、諸説あります。1907年に発売した自社商品である「赤玉ポートワイン」の赤玉がもともと現している太陽=「サン」と、創業者の鳥井信治郎氏の「トリー」を結び付けてサントリーとしたとも言われています。

サントリーは今でも、株式上場をしていないことで有名です。非上場の理由としては、『お酒の生産においては時間がかかり、短期的な利益創出を求められる株式上場は不向き』という考えからきているそうです。

また、サントリーのロゴの色が水色であるのには理由があり、メイン事業である総合酒類食品事業の源泉である水をモチーフにしたデザインとカラーになっています。水を大切にしたい、水のようにしなやかな企業でありたいという思いからだそうです。

2014年9月からNHKにて放送されていた連続テレビ小説『マッサン』のモデルとなったのは、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏というのは有名な話です。竹鶴氏は、「日本のウイスキーの父」と言われるほど、日本のウイスキー業界に影響を及ぼした人物ですが、実は、サントリー山崎蒸溜所の初代所長として働いていたことがあります。山崎を始め、日本のウイスキーが世界で高く評価されているのは、まさに竹鶴氏の功績なのです。

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