竹鶴 35年の買取・査定

(taketsuru 35years)

竹鶴 35年(taketsuru 35years)

生産情報

生産国     
日本
地域
北海道 宮城
地区
余市郡 仙台市    
余市町 青葉区
作り手
余市蒸留所 宮城峡蒸留所

詳細

分類   
ジャパニーズウイスキー
タイプ
ピュアモルトウイスキー
原材料
大麦 酵母 グレーン

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竹鶴 35年(taketsuru 35years)の特徴

ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏と言えば、NHKの連続テレビ小説「マッサン」の主人公のモデルとして使われたことで一躍知名度が上がった人物です。

竹鶴政孝氏は本格的な国産ウイスキーを造りたいという想いで、単身スコットランドに渡り本格的なウイスキー造りの技術を日本に持ち帰ってきたことによって、ジャパニーズウイスキーの発展の礎となった偉大な人物としてよく知られています。

竹鶴氏の活躍は「マッサン」でも詳細に描かれ、一躍ブームとなったことでジャパニーズウイスキーブームの火付け役となったことでも有名です。

 

そんな竹鶴氏の名前を冠したウイスキー銘柄が、ニッカウヰスキーが製造販売している「竹鶴」です。

サントリーと双肩を並べ、日本を代表するウイスキーメーカーとして知られているニッカウヰスキー。その創業者である竹鶴政孝氏にちなんで名付けられたこのウイスキーは、今やニッカウヰスキーの看板商品として、世界中で愛されるお酒となっています。

 

「竹鶴」シリーズは通常のラインナップでは25年熟成のものまでしか製造されていませんが、この竹鶴35年は2000年から発売されている竹鶴シリーズの限定品となっています。年間発売本数はわずか1000本程度のため、非常に手に入りにくいウイスキーとなっています。

その他のラインナップではそのすべてがピュアモルト(シングルモルト)という分類になっているところ、竹鶴35年では唯一のブレンデッドモルトとして造られていることも特徴的です。

35年以上という長期熟成を重ねた希少なモルトウイスキーとグレーンウイスキーをほぼ1:1の割合でブレンドしています。

 

かつてニッカウヰスキーが、竹鶴の新規発売を考案していた際、そのコンセプトとしていたことは「モルトウイスキーでありながら、ブレンデッドウイスキーに匹敵するやわらかさをもつウイスキー」ということだったと言われています。

そんなコンセプトを忠実に守り続け造られたウイスキーが、竹鶴35年なのです。

 

竹鶴35年には、竹鶴政孝氏の義理の息子であり、当時ニッカウヰスキーの相談役だった竹鶴威氏によって、直筆でラベルにシリアルナンバーが記入されていると言われており、まさにニッカウヰスキーの威信をかけて製造された、同社の集大成とも呼べるウイスキーです。

 

その味わいは長期熟成ウイスキーらしく重厚な複雑味を感じさせつつも、繊細なブレンドによって非常にスムーズに飲みやすく造られていると言われています。

口に含んだ瞬間、強烈な樽香から華やかなオレンジ、そして甘いピーチの香りへとゆっくりと変化していく様はまさに至高。アルコールが口の中に優しく広がり、その余韻はどこまでも長く続くことが特徴的だと言われています。

歴史

ニッカウイスキーの創業者である竹鶴政孝氏は1929年まで寿屋(現在のサントリー)山崎蒸留所の初代所長としてウイスキーの製造に携わっていました。

 

元は北海道に蒸留所をつくろうと訴えていた竹鶴氏でしたが、当時の寿屋の社長である鳥井信治郎氏が運送コストの利点や、世界中のウイスキーファンに気軽に工場見学をしてもらいたいという思いから、京都や大阪からほど近くアクセスしやすい立地であることを考慮に入れていたのだそうです。

そうした選定の結果、北海道ではなく、良質な水資源があることで古くから知られていた山崎の地が日本初のウイスキー蒸留所の建設地となったのだと言われています。

 

竹鶴氏はジャパニーズウイスキー製造を全面的に指揮し、国産ウイスキー第一号として知られる「白札(現在のサントリーホワイト)」や「サントリー角」といった名だたる商品を次々に発売。日本にウイスキー文化を根付かせることに成功したのです。

その後は、最初の約束だった10年が過ぎたため寿屋を退社し、真に自分自身の理想とするウイスキーを造り上げるために、昭和9年、北海道余市にニッカウイスキーの前身でもある「大日本果汁株式会社」を設立しました。

 

現在のブランド名である「ニッカ」は、この「大日本果汁株式会社」の略称である「日果」からとられており、ニッカウヰスキーや竹鶴氏のウイスキー造りの歴史の長さがうかがえます。

 

その後も竹鶴氏はジャパニーズウイスキー界を支え続け、2000年からは竹鶴シリーズを発売するなど、多大な貢献をした人物です。

こうした功績を称え、竹鶴氏は「日本のウイスキーの父」とも呼ばれているのです。

逸話

酒造会社の息子として生まれた竹鶴氏は、日本でも本格的なウイスキーを造りたいという一心で単身スコットランドへ留学しました。

ウイスキー製造の本場・イギリスのグラスゴー大学で有機化学と応用化学を学ぶかたわら、竹鶴氏は積極的に現地のウイスキー蒸留所を見学したり、頼み込んで実習を行わせてもらったりといった形でウイスキー造りを学んでいったのだそうです。

その情熱はすさまじく、ポットスチル(蒸留器)の構造を調べあげるために、その当時の職人でさえもやりたがらなかった釜の清掃を自ら進んで行っていたとも言われています。

また、イギリスのヒューム外相が来日した際に、「1人の青年が万年筆一本でウイスキーの製造技術をすべて盗んでいった」という賛辞を贈ったとも言われています。

帰国後も、志を共にする寿屋の鳥井信治郎氏とともに国産ウイスキーの製造に尽力。幾度も失敗を重ねながらも一切の妥協を許さないウイスキー造りを続けたことによって、ついに日本にウイスキー文化を定着させることに成功します。

 

こうした並外れた情熱によって、日本におけるウイスキー造りの礎を築き上げた竹鶴氏。その軌跡がNHKの連続テレビ小説「マッサン」の主人公のモデルとして取り上げられたことは有名です。

「マッサン」は放送直後から一大ブームを引き起こしたそうですが、こうした流行も、近年のジャパニーズウイスキーブームを引き起こしたきっかけの一つになったのだと言われています。

実際、ドラマ放送開始前の2014年1月からにかけて、ドラマの舞台のひとつともなったニッカの北海道余市蒸留所や仙台宮城峡蒸留所には見学者が殺到。それまでの2倍近い来場者数を記録したとも言われています。

また、こうしたブームを受け、ニッカウヰスキーの主力商品である「竹鶴」シリーズは約40%の売り上げアップ。山崎や響など、その他のジャパニーズウイスキーも影響を受けて品薄状態が続くほどの流行を生み出したのだそうです。

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