(chateau-cos-d`estournel)
最高買取金額 | … | ¥13,000 |
※過去最高金額での買取り結果です。 | ||
平均買取金額 | … | ¥10,000 |
買取本数 | … | 71本 |
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多くのワインファンに“コス”の呼称で親しまれているのが、このシャトー・コス・デストゥルネルです。
1852年に、シャトーを拡張し整備するための借金がかさみ、ルイ・ガスパール・デストゥルネルはシャトー・コス・デス トゥルネルをロンドンの銀行家、マーティンズに売却しました。彼はマーティンズによって引き続きシャトーに住むことを許されましたが、その後、1853年に亡くなりました。それは1855年のメドック格付けによってシャトー・コス・デストゥルネルがサン・テステフ最高のシャトーとなり、彼の努力が報われる2年前の出来事でした。
1869年、マーティンズはシャトー・コス・デストゥルネルをバスク地方の貴族、エラズ家に売却します。エラズ家は1889 年にホスタイン兄弟にこの地を売却。1917年には、ボルドーを代表するワイン商人であったフェルナンド・ジネステ家がコス・デストゥルネルを買い取り、後に彼らの孫であるジャン・マリー、イヴ、ブルーノ・プラッツが受け継ぎます。そして1998年、プラッツ兄弟は、コス・デストゥルネルをメルロー家、タイヤン・グループのオーナー、モヤノ氏を代表者とするアルゼンチンの投資家たちに売却しました。
2000年にコス・デストゥルネルは再び売却され、今ではソシエテ・デ・ドメーヌ・レビエの所有となっています。 醸造の指揮をとっているのはフェルナド・ジネステの孫で、1970〜1998年までコス・デストゥルネルの経営者でもあったブルーノ・プラッツの息子ジャン・ギョーム・プラッツです。
シャトーはアジアのパゴダのような外観を持ち、ポイヤックとの村境の北西、著名な隣人ラフィット・ロートシルトを見下ろす丘の背にあります。メドックにしては珍しく、コス・デストゥルネルは メルローのブレンド比率が高いこと(約40%)、新樽の比率が平均よりも高いこと(約60〜100%)が有名です。肉付きが良く、リッチでテクスチャーなワインに仕上がります。深い砂利質土壌は常に密度が高く、肉厚なワインを生み、比率の高いメルローがワインの風味を和らげています。 醸造と熟成には常に丁寧に、克つ手間を掛けて、それがメドック最高級のクリュの中でもトップの上品さと複雑性を誇るワインにしているのです。
他の多くのワインと同じように、1980年代初めのワインでは、年月とともに徐々に穏やかに熟成する強い樽香が特徴です。欠点のない1982〜1996年の間に、とても早い段階から消費者を魅了し、瓶詰め直後からも魅力的で、壮麗かつ非常に調和のとれたワイ ンを世に送り出すようになるまで、真価を表すには相応の熟成が必要です。収量をルテ・レゾネに(適度に低く)保つために畑では厳しい剪定が行われています。コス・デストゥルネルはコンクリート製の、レ・パゴデ・ド・コスはスチール製の発酵槽で醸造されます。事前に10〜15日間の定温浸漬をし、ヴィンテージとフェノール類の完成度に応じて色や風味を引き出します。ワインはオーク樽で18〜22ヶ月間熟成させます。
シャトー・コス・デストゥルネルのワインは、19世紀の初めから半ばにかけて、ボルドーの誇り高いシャトーのどのワインよりも高額な値がつき、遠くのインドにまで輸出されていました。実際のところ、ルイ・ガスパール・デストゥルネルは、『サン・テステフのマハラジャ』としてインドでも知られていたのです。
シャトー・コス・デストゥルネルは伝統を守り健全な敬意を保ちながらも、革新的な手法を嫌悪することもなく、常に新しい試みを心がけています。
著名な隣人、シャトー・ラフィット・ロートシルトを見下ろす丘の背に畑があり、ラベルにも描かれている中国風の建物を持ち、オリエンタルな雰囲気を醸し出しているサン・テステフの名物シャトーです。現在は第2級といえども、第1級に勝るとも劣らない実力があります。