(chateau-lagrange)
最高買取金額 | … | ¥6,200 |
※過去最高金額での買取り結果です。 | ||
平均買取金額 | … | ¥4,000 |
買取本数 | … | 39本 |
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中世から続く老舗シャトーの「シャトー・ラグランジュ」。古典的なメドックのタンニンが特徴で、とてもふくよかでリッチな味わい。そして、安定した品質でコストパフォーマンスに長けていることから、近年注目されているワインです。
サントリーが買収してから飛躍的に品質が向上し、辛口ワイン評論家として有名なロバート・パーカー氏も唸らせるほどの味わいになりました。ワイン評価誌でも高評価を獲得する、多くのワイン愛飲家から愛されるワインです。
優雅な果実味と豊かなタンニン、芳醇で贅沢にも感じる長い余韻は、メドック格付け3級とは思えないほど。新樽60%ということもあり、新樽に由来する個性も際立っています。
フランスワインの聖地、ボルドーのメドック地区。17世紀初頭には、古文書やワイン地図にその名が残されています。
時は流れ19世紀頃、ルイ・フィリップ朝で内務大臣などを歴任したデュシャテル伯爵が、シャトー・ラグランジュの所有者となりました。彼は、当時のボルドーでも指折りの規模の醸造設備に整えるなど、生産性を大きく伸ばします。畑の土の中に素焼きの土管を埋め込み、水はけを良くする設備も彼が考え出したものです。
そして、その頃行われたパリ万博の時に制定されたボルドーメドックの公式の格付けで、ワイン造りにおいて最高峰のブドウ畑に与えられる特級畑、つまり“グラン・クリュ第3級”に格付けされました。
このように公式の場でも輝かしい評価を獲得していたラグランジュですが、次第に名声に陰りを見せます。1925年にはオーナーが世界恐慌(1929年)の波に飲まれ、長引く戦争で経済的に没落。やむをえず、ラグランジュの畑は切り売りされ、シャトーは荒れ果てて品質も低下し、まさに地の底まで落ちたような状態になってしまいました。
しかし1983年、この荒廃したシャトーに1本の光が差します。サントリーが買収することになったのです。実は、シャトー経営にあたるのは欧米企業がほとんどだったため、それ以外の国の企業が参画するのは初めての出来事でした。
まず、現代のボルドーの父とも言われるボルドー大学のエミール・ペイノー博士を顧問に迎え、総責任者はペイノー博士の門下生であるマルセル・デュカス氏、副会長にはサントリーの鈴田健二氏が就きました。彼らは、荒れ果てたブドウ畑を新しく植え直し、醸造に使われる設備も一新。それだけでなく、シャトーのシンボルでもある城館や庭園までも修復し、徹底的に大改革をしました。
そのおかげで、無残な没落シャトーから、かつての名声以上の評価を得られるグラン・クリュ シャトーとして完全復活を成し遂げたのです。
現在は、1983年に大改革を行って新たに植え直したブドウが主力となり、より素晴らしいワインになりました。2004年に副会長の鈴田氏から椎名敬一氏にバトンタッチした今でも、ラグランジュの快進撃は止まりません。
世代交代により波乱万丈となったシャトーが日本人の手によって再興し、これまで以上のワインに仕上がったのです。
没落シャトーの復興の成功例として有名な「シャトー・ラグランジュ」。その陰には、前副会長の鈴田健二氏の存在があります。
ボルドーは、ワインの産地としてはとても有名な場所ですが、閉鎖的な農村社会が今も続いています。特に当時のサントリーの買収は、現地でも経済侵略とみなされていました。しかし、現地で学んでいた鈴田氏が橋渡し役となったことが、成功への鍵となったのです。
彼は、素晴らしい醸造家であると共に、万人に愛される人徳の持ち主でもありました。残念ながら2009年8月に亡くなってしまいましたが、彼なくしてラグランジュの復興は無かったと言えるでしょう。