(HENRI GIRAUD)
最高買取金額 | … | ¥24,000 |
※過去最高金額での買取り結果です。 | ||
平均買取金額 | … | ¥10,000 |
買取本数 | … | 16本 |
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アンリ・ジローは、その生産量の少なさから、近年までイギリスやモナコなどの王室御用達といった一部の上流階級で愛飲されるのみだった極上のシャンパンです。しかし、現在のような高い評価を受けるシャンパーニュを造るようになるまでの過程は、決して楽なものではありませんでした。
アンリ・ジローのシャンパーニュが異彩を放ったのは、20世紀初めの頃のことでした。シャンパーニュ造りに情熱を注ぎ、マルヌの戦いにも騎兵として参加していたレオン・ジローが、エマール家の娘と結婚したことが大きな転機となったのです。
当時、フィロキセラ(=ブドウネアブラムシ)により壊滅状態にあったブドウ畑を、 彼の独自の研究と絶え間ない努力が復興させました。それは特定のアメリカの苗木を接木するという、当時としては最先端の技術でした。
現在12代目のアンリ・ジローは、初代アンリ・ジローの精神を受け継ぎ、シャンパーニュのさらなる向上を目指して進化し続けています。アイ村のピノ・ノワールが存分に味わえる随一のシャンパーニュ、それがアンリ・ジローの魅力です。
アンリ・ジローの歴史は、17世紀初頭から始まります。ルイ13世統治下の1625年、創業者のフランソワ・エマールが、シャンパーニュ地方の中でも特別良質なブドウの産地として有名なアイ村に畑を購入しました。これが、現在のアンリ・ジローのシャンパーニュが高い評価を受けている理由です。
10世紀以前から、石灰質の土地であるシャンパーニュ地方は、シャルドネやピノ・ノワールなど良質なブドウを生み出す地として有名でした。中でも、アイ村のピノ・ノワールは評価が高く、17世紀にシャンパーニュ造りが始まった頃では、多くのメゾンがアイ村産のピノ・ノワールを希望していました。
特に熱心だったのは法王や王族で、歴史の証人灯として、今もアイ村にはフランソワ1世やアンリ4世の圧搾場跡が残っているほどです。
アンリ4世は「アイ卿(Lord of Ay)」と呼ばれ、アイ村の歴史の一つとなっています。16世紀初頭から、アイ村はシャンパーニュ地方において、ワインのAOC(原産地統制名称)として認定されました。
現在では、アイ村にある323ものクリュのうち、グラン・クリュに認定されているのは17のクリュのみ。その高品質のブドウは、プレステージュ級のシャンパーニュにおいて、もはや欠かすことのできないものとまで言われています。
アンリ・ジローは、アイ村に約8ヘクタールの自社畑を所有しており、それらはすべてグラン・クリュに認定されています。